MESSAGE
小学6年生の頃、バイブルだった漫画のドラゴンボール。突如として悟空の前に現れた、人造人間17号の足元に目を奪われました。
何かに急かされるようにして、それと似たハイカットのオールスターを買ってから、僕のスニーカー人生は始まります。中学校に上がると、スニーカーを買うためだけに新聞配達を始め、そこで稼いだ月16,000円を迷うことなくすべてスニーカーに捧げました。
息をするようにスニーカーのことばかり考えていたあの頃、受験勉強のときですらジョーダン6を履きながら毎夜机に向かったほどです。
高校を卒業して就職し、9年が経ったある日。ふと、中学校時代の友人の卒業アルバムに「スニーカー屋さんをやる」と書いた自分の言葉を思い出します。
学生時代の情熱と高揚感が蘇り、気付けば退職届を書いていました。そして、神戸で靴製作学校へ通ったあと、靴の本場であるイタリアのフィレンツェに留学。現地で靴デザインの専門学校へ通い始めます。
先生から繰り返し言われるのは「日本人の自分にしかできない表現を追求しなさい」ということ。日々模索するなかで、外国の人にとっては、ひらがな・カタカナ・漢字の3つの文字体系を使い分ける"日本語"が、異様でありながら興味深いものだと気付かされます。そこで、当たり前だと思っていた日本の文化や背景を改めて見つめ直すようになりました。
言語に加えて、日本が世界に誇れるもう一つのアイデンティティ。それは、伝統工芸や革細工など、職人が技を磨き受け継いできた、ものづくりの文化があるということ。ものづくりが根付く日本ならではの姿勢や美意識が、スニーカー作りにも通じると感じました。
日本が持つ文化と、90年代にスニーカーブームに熱狂したあの頃の憧れをかたちにしたいという想い。そんな僕の人生の夢がまるごと詰まったのが、この「SANGACIO」です。
代表取締役
前田一輝
HISTORY
1992年
小6の夏。ドラゴンボールの人造人間17号に憧れて人生で初めてのスニーカー、コンバースの「オールスターハイカット」を買う。
1993年
中1の春。近所のバスケ兄ちゃんにナイキの「エアジョーダン」を教えてもらう。
1993年
中1の夏。ナイキの「ジョーダン8(黒青)」を買うために新聞配達を始める。
1994年
中2の春。勢いづいて、ナイキの「ジョーダン1(復刻)」を買う。
1995年
中3の夏。東京のスニーカーショップから現金書留でナイキ「ジョーダン11」を買い、親にバレて怒られる。
1995年
中3の冬。ナイキ「ジョーダン6(マルーン)」のデットストックを履いて受験勉強に励むも、志望校は不合格。
1996年
高1の春。スニーカーコレクションが遂に20足を超える。
1997年
高2の夏。加水分解によりスニーカーが10足消滅する。
2003年
スニーカー愛は加速し、ニューバランス「NB1700(Japan Limited)」を境に借金が300万円を超える。
2012年
履くだけでは飽き足らず、神戸の靴製作の専門学校へ通い出す。
2012年
アディダス「クライマクール」と共に、四国八十八カ所のお遍路を完歩する。
2013年
本格的に学ぶため靴の本場であるイタリアへ留学する。
2014年
ゴアテックス素材の靴でスペイン・カミーノ・デ・サンティアゴの巡礼路を踏破。素材の大切さを足で知る。
2015年
サンガッチョジャパン株式会社を創業する。
2017年
昔から憧れていたナイキ「ジョーダン3」のセメント柄を使い、自身のブランド「にゅ SNEAKERS」でオリジナルモデルを制作。
2018年
自身初となるスニーカーコラボをニューヨーク市と実施。そのオリジナルモデルを履いてホノルルマラソンを走ろうと思い、家族とハワイへ。旅先で「ジョーダン11(Retro
'Concord')」の限定販売を知り、徹夜で並ぶも撃沈。代わりにアディダス「イージーブースト」を奇跡的に入手できたのは、今となっては良い思い出。
2020年
会社が軌道に乗り始めると同時にスニーカー収集にも拍車がかかり、レアものを中心にコレクションを拡張する。
2022年
NFTブームの波に乗り「にゅ~ずスニーカー」をNFTで販売。